放送100年 テレビ・ラジオからの贈り物
今日が記念日だそうです。思い起こすと1960年代はまさに黄金時代。昨日の桑田佳祐さんのTV番組も見ました。テレビやラジオに学んできた、模倣の寄せ集めで出来上がって・・謙虚だと思います。
今日が記念日だそうです。思い起こすと1960年代はまさに黄金時代。昨日の桑田佳祐さんのTV番組も見ました。テレビやラジオに学んできた、模倣の寄せ集めで出来上がって・・謙虚だと思います。
3月19日でしたが地下1Fに。正確には移転、ダイヤ街路地筋からになるのでしょうか。まだ一部箱空けなどされていましたが、ガラス張りの試聴コーナーもあるようです。吉祥寺パルコB1Fも大変以前は模型屋、材料屋などかなり趣味性の高いゾーンでしたので、少し嬉しい気持ちもあります。オーディオ・ユニオンといえば学生時代お茶の水のお店に行っていた頃、同店主催の録音コンテストがありまして、創作オーディオ賞を頂いたことがあります。審査員は荻 昌弘さんでFM東京で放送され、賞として収録されたレコードをいただきました。自作のシンセ1号機も使ったものでまだ十分な音階も出せず効果音 的なものでしたが、あそこも原点であった・・・1975年のことです。当時のオーディオ装置の方はまだあります。
何と言ってもヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」の歌唱。これは筒美京平さんの作曲。筒美京平さんの名前を知ったのは南沙織「17才」で、その時はまだ「ブルーライト・ヨコハマ」は知っていても筒美さんの曲とは意識がなかったですが、「ま・ち・のあかりが」の独特の謡い出しは確かに。いしださんはこの曲以前にTVドラマ森繁の「七人の孫」に出ていたことを覚えていますが、名づけ親が永六輔さんだったとは今知りました。いしださん出演ドラマでは「北の国から」が思い出されます。ブルーライトは1968年のリリースですが年末だったのでヒットは1969年でこの年の曲に秀作が多い事はホームページに記載しました。丁度受験をひかえた中三で、サウンドと同期した思い出は沢山あります。
60年代 歌謡曲の黄金時代
14年前のことはブログに出ています。
翌日の計画停電の記事は1時間で2万アクセスありました。
思い返してふと思ったのは当時まだ現役で地震後、仕事はどうしていたのか。
DV-7G/DV-7HDはまだ発売前で、各地セミナーはまだなく
ライブ配信用のビデオミキサーのプロモーションをしている頃でした。
それでも交通不通や間引き、運転休止など、行ったは良いが
帰りはという変状況でした。今はセミナーやサポートもリモートで行い移動なし時代は変わったものです。
東京大空襲のことを詳しく知ったのは1970年高校1年の時。小学生の頃から少年サンデーや少年マガジンの巻頭図解や記事物語で戦争の事は知っていたのですが。高校に入り無理やり図書委員にされ、『読書会』というのがあってその課題となったのが早乙女勝元さんの『東京大空襲』でした。この読書会は校外活動で、他校との交流対抗となってました。相手の学校は杉並区にあった女子高で訪問しました。こちらが男子校であったためか力が入り事前に自校図書館の書庫を捜して戦前の縮刷版で空襲の報道を調べました。読書会発表は何を言ったか覚えていませんが見つかった新聞の詳細が伏せられたと思われる空白の多い紙面と被害を矮小化する記事が当時の状況を物語っていたという記憶が残っています。
雪は積もったようですが夜中に雨に変わり朝起きると芝生の上に白いものが残るという状態で、公園に行こうと思ったらもう溶けていました。
そんな訳で午前中は都電の資料本を出品作業。昼は天津麺を作りました。かに玉は母が作った硬焼きタイプとふわとろタイプの2種あいもり。金曜着予定のブルートゥスのレシーバーが届き、妻のスマホを設定しました。先日の勉強会に刺激されたようで、会場でワイヤレス・オーディオできないかの要望によるものです。実はこれ以前に871円のものを入手、私のスマホは簡単に設定、しかし妻は駄目で同じ機種、同じOSバージョンでも。ということで4倍する値段のものは一瞬で認識。音質も各段にアップ。天候は1日ぐずつきました。
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