タイムトンネルの入り口
60年代のその昔住んでいた松本市、市の公式ホームページを見ていたら
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/tiiki/matidukuri/hanaippai/kinensi/ayumi/S36/index.html
1961年のページに
「5月5日、城山公園につくられた「てるてる坊主」の除幕式に、小学生の手で1,000個の「花の種」をつけた風船が放たれた。その小学生のもとに県内外から友情のたよりが相ついで届いた。」
とありました。そう、城山は松本の北西にある小高い山で・・・、そうこの当時小学生、今なき松本市立田町小学校の生徒、入学したばかりの1年生であった自分も除幕式に行ったようで。
<松本市のホームページから1960年頃の城山方面、消防楼から>
確か快晴ではなかったと思います。どちらかと言えば、天候は良くはなかったと思いますが自分の手から風船が離れ、赤い風船がどこまでも小さくなったような記憶が蘇ってきました。その風船の糸には四角い小袋が付いていて、それは「花の種」であった訳です。空に見えた風船は1000個に及んだようです。その日は母の体調が悪く、銀行を休みであった父に連れられて行ったように思われます。たぶん午前、城山から午後は家に帰ってきていったい何をしたのか。
放たれた風船が県内に届いたことは学校でも話題になったと思います。
この記載に行き当たる前は、小学生の時なぜか、ピクニックでもないのに休みに城山に行った記憶はありました。アルバムにも「てるてる坊主」の碑の写真があった記憶がありました。あのとき、空に放った風船はどこまで行ったのでしょう。
さて5月5日と言えば、端午の節句。ホームページでも紹介した「読む、歌う 童謡・唱歌の歌詞」(池田小百合編著:夢工房)にも、「背くらべ」(♪柱のきずはおととしの・・・)、「鯉のぼり」(♪甍の波と雲の波・・・)、「こいのぼり」(♪屋根より高いこいのぼり・・・)が掲載されています。こうした歌も思い出への入り口を作ってくれます。
「てるてる坊主の碑」からすでに45年以上が経過していますが・・・
調べてみますとまだ、残っているようです。
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松本という地名に反応して立ち止まりました。
お久しぶりです。
城山公園につくられた「てるてる坊主」の碑はいまでもあるのですか?
私は?十年前城山にある焼肉?屋さんによく行ったのですが・・・
その碑は知りませんでした。
懐かしい記事を読ませて頂きありがとうございました。
投稿: ろこ | 2008年5月 5日 (月) 17時02分
ろこさん
おひさしぶりです。
城山公園には碑が残っているようですよ。
あの頃では考えられないくらい開けてしまってますが。自分が住んでいた45年以上前、今の蟻が崎住宅より北は演習場跡の高い土手で、法務局あたり小川の流れるのどかな景色、その先は荒野だった・・・と思います。
投稿: 管理人(初恋天使) | 2008年5月 5日 (月) 20時27分