週刊昭和43年 1968年
このシリーズでも、1960年代はもうわずかになってきました。
1968年といえば、世の中も学生運動とか、三億円事件とかいろいろありました。
小生も中学2年生。多感な頃でした。そんな日々の思い出や、懐かしい音楽、そしてテレビ、
ホームページではそのいろいろを掲載しております。
ボンカレーの生まれた年
http://mtomisan.my.coocan.jp/page020.html
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このシリーズでも、1960年代はもうわずかになってきました。
1968年といえば、世の中も学生運動とか、三億円事件とかいろいろありました。
小生も中学2年生。多感な頃でした。そんな日々の思い出や、懐かしい音楽、そしてテレビ、
ホームページではそのいろいろを掲載しております。
ボンカレーの生まれた年
http://mtomisan.my.coocan.jp/page020.html
ホームページでリクエストを頂きましたので、試作版をもとに量産版?SX-150改Ⅱを作ることにしました。
まず仕様検討、そして材料集めになります。
追加基板を1枚入れるとして
ノイズジェネレータ内蔵、エンベはついていた方が良いですよね。
VCF MOD、PW MOD の追加。
外部ユニット接続用の端子はやはり欲しい・・・
ホームページをごらんください。
外部増設ユニットの量産化も考えたいですね。
こちらは作りやすく、扱いやすく・・・というところでしょうか。
建物などのことをストラクチャーと言ってます。今回は自作、手はかかりますが個性的なものが出来上がりはじめました。
配置してみると、意外にベースが小さいことに気づきます。
調整の必要なたてものも出てきました。
井の頭公園の桜は?ご心配のかたも多いと思いますが、この寒さ。
ただ人は出ております。
公園口地下の「まぐろ人」も早々11:30前に満員に。どうも公園が原因の様子。
ロンロンの食品コーナーもオードブルが増え
夜になって、こちらはやきとりで有名な「いせや本店」にも列が出来ております。
本格的な花見は今度の休みになりそう。
ビデオフェスティバルで毎年司会をご一緒する
円ちゃんこと円城寺佳子さんの
2009年03月18日お仕事日記にもありました
こんなのがあるんですね。確かにうまく出来ているようです。
こういうのって、もともと誰にでもある、罠・・・
開けてみたくなる『パンドラの箱』のようなものかも。
何も始まることも、そして終わることもない・・・判っているんだけれどね。
来る手紙はプログラムのなせる技、機械仕掛けの創作と判っていても・・・
さて 初恋と言えば、ほのぼのとしたこの物語はどうなのか・・・
ところでよくお世話になるキヤノンさんで出た話ですが
「特急田中3号」で使って頂いたあのジオラマです。
詳細はホームページでごらんください。
カラー版で見ていても楽しいカタログですが、製品だけでない情報も出ています。
まだまだしっかりしたカメラはテープタイプ。HDV方式。
ハマプロこと、浜谷修三さんの「ライブ&イベント収録のすすめ」も読み応えあります。
「エディター」がリリースされましたので緊急でホームページにコーナーを作りました。
F-1を購入されていた埼玉のKさんも、ソフトをダウンロードされて、「こんなにいろいろできるとは思っていませんでした・・・」DV-7の使える方では、覚えるところは少ないので、ホームページを更新してポイントを掲載しました。
参考にしてください。
17号。表紙を見ても懐かしいザ・タイガース。
1964年に東京オリンピックも終わり、1965年のベンチャーズのエレキブーム。そして1966年のビートルズの来日。すでに人気はあったとは言うものの1967年は、まさにGS(グループ・サウンズ)ブームでした。
歌謡曲といった切り口でみるとその峠は翌年1968年の後半で、いかに当時の音楽シーンの多様性に驚くしだいなのです。見栄えもありますが、60年代から70年代の素晴らしい洋楽ポップに混じって日本のエレキサウンドもビートや、メロディアスな旋律、骨格のしっかりした曲やサウンドの構成などは以後の和製ミュージックに大きな影響を与えます。
そしてフォークやニューミュージックと言った70年代の音楽につながって行きます。
そして漫画やアニメが大学生たち(当時の大学生はまだ学問を究めるエリートでした)にも認知され、あらためて、60年代の社会変化にも驚く訳です。
子供たちのおもちゃも変って行きました。
1967年、中学生になったのですが、美しい沢山の思い出がいろいろあったと思います。
本当にいろいろな事象が思い出の扉を開けてくれ、そこにつながって行く、まさにタイムトンネルの世界です。
60年代のいろいろなら 『60年代 懐かしの宝箱』
先日、大阪でセミナー受講された方から「F-1は別に屋外に持ち出してカメラにつないで録画しないといけない・・・いうことはないんですね」
と聞かれ、「室内で編集に使うという使い方で良いということに気づきました」と言われ、確かにと思った次第です。
広告などもグリーンを使っているので屋外、カメラを繋いだアプリも多いので、旅行ビデオに不要ではと思われるようです。その方は「テープで取ってキャプチャですよね!」
そのとおりで、Ver1.2からの変更でHDVテープ再生してF-1で録画すれば、自動的にカットごとに分割して、取り込んでくれるので
あとはF-1をPCに接続して編集すれば良いということになる。
無償エディターソフトでのハイビジョン編集となる訳ですね。
その方は「DV-7と同じような画面なのでパソコンソフトでも安心です」、F-1からはじまるハイビジョン制作の世界を理解されたようです。
そして、ローランドのサイトから「エディター」モードを搭載したユーティリティーVer.2.0がリリースされました。
http://www.roland.co.jp/products/jp/F-1/index.html
F-1の映像データをハイビジョンでカット編集。映像では画像ファイル、インサートトラック、スケーラー機能搭載でSDの映像も交え、さらにアクセプト比を設定した混在編集が可能。音声はステレオで4トラック扱え、各レベル変化、音のフェード・イン/アウトも設定できます。
タイトル機能・映像の効果機能は搭載されません。しかし、お絵かきソフトで文字の静止画を作れば、映像に入れることができ、ビデオに説明をつけることが可能です。
完成形はm2tファイルの書き出されるので、他のソフトに受け渡してテープなどに出力をします。
最近、皆さんはFM放送は聞かれますか?
いつのまにかFMチューナーが消え、
朝のFMラジオも、TVの音声受信になってしまいました。
しかし、最近は地域でのミニFM局があったりで。
40周年というと、スタートは1969年。それより前から聞いているので。試験放送だった訳です。
「60年代 懐かしの宝箱」ホームページにもありますがFMと言えばエアチェック。自分はコンポーネントステレオ初期にトリオのチューナーとTEACのオープン・テープ・デッキではじめ、のちにナカミチのカセットデッキと進みました。学生時代は音響工学をやって、オーディオの自作もやって、待望の音響メーカー就職。しかしラジカセを担当するとは思いませんでした。
今、ラジカセがまたブームのようです。
仕事で担当したのは、機種で言うとRK-777、RK-999などが終わった後(アルミ製パネルの腐食で、海岸地方で問題となり事業縮小)。いずれもステレオタイプのSK-7、SK-50/60(時計付)/70/80(音声多重)/95(多機能)、SK-200(シンプル機)、SK-800/900(グライコ、ドロンコーン)たしかSK-650 の時に会社を変わりました。これらの機種の量産化、修理や調整をやりましたが(多いモデルでは100台修理も有り)、ダイヤルの糸かけひとつとってもやりやすい難いいろいろな機種がありました。たった3年ほどでしたが、海外の派生モデルも含め40機種ほどにかかわりました。SK-900は今でも人気のモデルだそうで、懐かしいですね。
サイトも出来ています。
http://60y.hatobus.co.jp/goods/index.html
懐かしい画像なども見られます。
はとバスがピークであったのも60年代だと言われているようです。
1962年に、小学2年生で東京に出てきた自分もその年に
はとバスで都内を回った思い出があります。
皇居で記念写真を撮り、最後は浅草であった記憶があります。
1960年代の映画、たとえばクレージーキャッツのシリーズなどでは当時の東京が残されています。
60年代なら 「60年代 懐かしの宝箱」
F-1ユーティリティーの「エディター」の記事が近藤先生のレポートで4ページ掲載されています。
お待ちの方もいたと思いますが、いかがでしょうか。公開はもうすぐのようです。
連載のDV-7DLシリーズ記事は、タイトル関係。DL-Gでのスクロール機能はPROでも使うテクニックです。
エディロール・ビデオ・フェスティバルの記事も出ています。
ローランドのサイトに作品・コメント、当日の画像が掲載されています。
http://www.roland.co.jp/video/vf6/
そして今回で最後になったTVFのフェスティバルの記事も。
そして豪華別冊「映像制作機器ガイド2009」も付いています。
今月も内容豊富ですね。
もうそろそろ。
近くの井の頭公園はどうでしょうか。
だいぶあったかくなってきましたが
懐かしい桜の画像です。2004年に撮ったものです。
こう見ていると、もうすぐという感じがしてきます。
今話題の歌ですね。宇宙から聞こえてくるとは。懐かしい歌です。藤山一郎さんの作曲、1956年。50年代、60年代にさかんであったラジオ体操、夏休みの朝を思い出す歌です。
懐かしい60年代なら 「60年代 懐かしの宝箱」をごらんください。
新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 健やかな胸を この香る風に 開けよ それ 一 二 三
朝日新聞の秘蔵写真・秘話で戦後の昭和がわかるシリーズNo.16
ビートルズが来日したこの年。日本の音楽も文化も大きく変わって行きます。
ホームページ「60年代 懐かしの宝箱」でも詳しく扱っています。
http://mtomisan.my.coocan.jp/
そしてウルトラマンが生まれたのも1966年。
http://mtomisan.my.coocan.jp/page101.html
ウルトラシリーズは続きますが
60年代は
ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンまでですね。
そして、歌謡曲が黄金時代を迎えるのもこの時期です。
http://mtomisan.my.coocan.jp/page147.html
学研のシンセサイザーSX-150 の与えた影響は大きいものあります。
その値段!通販などしても5000円でおつりがくる・・・
その手作り感、簡単な組み立て、そして改造を含めると。
もともと70年代から手作り電子楽器の流れがありました。
自分は60年代から作れないか?と考えていました。
当時はまだ、電気楽器が中心でしたが。
それからいろいろな回路を組みました。
雑誌に発表した時期も、
メーカーで、日々試作に明け暮れた日々も。
染み込んでいるもので、資料などを見ないで回路図が描けるには自分でも驚きました。もう20年以上ブランクがあったと思います。
回路や改造はホームページで掲載しています。
今でも検索やアクセスが多いようです。
■「特別賞、菅原さん3度目の入賞」ということで3/6地方紙(室蘭民報)に掲載されております。
これはネット検索で知ったのですが
「登別の菅原さん、全国ビデオフェスで3度目の入賞」
【2009年2月14日(土)朝刊】
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2009/02/14/20090214m_05.html
こちらにも・・・
ヒューマンなタッチで撮り続け、数々の受賞歴を持つ、登別市在住の菅原光子さんのビデオ「秀さんと僕たち」が、第6回エディロールビデオフェスティバルで入賞・・・
そして、DV-7ビデオ研究会札幌支部では
DV-7研究会北海道支部3月例会
http://hajimevision.blog.so-net.ne.jp/2009-03-16
にも掲載されております。
作品はローランドサイトで見ることができます。
http://www.roland.co.jp/video/vf6/index.html
入賞おめでとうございます。
作品を拝見しますと「秀さんはもう少しがんばってみようと・・・」
自分自身も何かそう思わされます。
簡単に食べられるということではラーメンがあります。
吉祥寺はラーメンの激戦区で、駅周辺に沢山のお店があります。
最近のラーメンの多くがとんこつ系で、まあ60年代のラーメンとは大きく違う訳で。
そんな中で、昔ながらの澄んだスープのラーメンを食べるなら・・・
吉祥寺ロンロン 地下1階レストラン街、ラーメン亭
エビワンタンメン、スープは醤油
塩ラーメン、もやしが入って、さっぱりスープ。いまどき540円。
さっぱりで、とんかつながら軽く揚がっているのは
吉祥寺東急レストラン街 「かつくら」
ごらんのように家族でいろいろとって食べるのもなかなか良いですね。
デザート安くでボリュームがあるのは
ロンロン地下のスピガです。
自分自身も40年以上前に、HOゲージ(16.5mm線路幅)ではじめて、Nゲージ
(9mm線路幅)に移り、最近ではZ(6.5mm線路幅)やTゲージ(3mm線路幅)をやっています。私はやっていませんが同じ9mm幅であっても、外国型や、ショーティーと言って短縮型の車両、路面電車、ナローと言って、上回りの縮尺と線路幅の関係が違うものなどもあるので、大変豊富な訳です。
それぞれ、違った特徴があり、おもしろみを持っています。大きさや金額の違いだけでなく製品やパーツ、素材の豊富さも異なっているので、実際やる条件も変わってきます。
最近の傾向としてはこれ1つという選択ではなく、複数をうまく利用する方法があるのかもしれません。たとえば、コレクションは製品豊富なNゲージとして、工作はそれよりも大きな縮尺、レイアウト、ジオラマはもっと小さな縮尺・・・のように。Nゲージで言えば、昔のように発売される製品を皆揃えるということは困難ほど数が多くなってきましたので、かなり自分の方向性(時代、地域、種別など)を絞り込んで決めるという必要も出てきます。選択ができる時代なので美味しいところだけを食うということができるということでしょう。
鉄道模型に関してはホームページもごらんください。
http://mtomisan.my.coocan.jp/index.html
私自身、このところのブランク、特に介護や仕事で模型がこれだけ出来ない期間もこれまでになかっただけに、そのあたりをゆっくり考えさせて頂き、数年来の結論が出た感じがしております。
と言いつつ、介護関係がある訳ですが。
本を書いてから早いもので10年。もちろん、今を見ると変わったところも現状ありますが、模型へのPC導入は行われ、本質は変わらず、自分ながら今だからこそという感じもします。
いよいよ2009年3月13日が最後になります。
寝台特急廃止の流れはすでにありましたが。
ホームページでも扱っております。
http://mtomisan.my.coocan.jp/
戦後、豪華寝台特急は1958年の「あさかぜ」にはじまりますが
その飛躍は60年代、東京発の九州行きの20系客車の活躍でしょう。
ゆっくり、ホームページでごらんください。
この1ヶ月ですが、
どのリンクをたどってしらっしゃるのかを調べてみました。
1 サイト内 32.4%
2 ブックマーク/URL直接入力 19.2%
3 http://mtomisan.my.coocan.jp/ 12.0%
4 http://mtomisan.my.coocan.jp/page003.html 3.9%
5 http://mtomisan.my.coocan.jp/page016.html 1.6%
6 http://mtomisan.my.coocan.jp/page162.html 1.5%
7 http://mtomisan.my.coocan.jp/page025.html 1.2%
8 http://mtomisan.my.coocan.jp/page031.html 1.1%
9 http://mtomisan.my.coocan.jp/page005.html 0.8%
9 http://mtomisan.my.coocan.jp/page147.html 0.8%
9 http://mtomisan.my.coocan.jp/page046.html 0.8%
リンク経由では
ホームページ 「60年代懐かしの宝箱」から来る方が多いようです。
第15号。このところ60年代が続いているという状態です。
1962年は、自分も小学校2年、東京に出てきた年だけに記憶が鮮明です。
吉永小百合、日活青春映画、懐かしい方も多いのでは。
クレージーキャッツの映画は楽しかった。
そして、プラモデルの流行ったのもこの頃。
60年代の懐かしい話題はホームページに沢山掲載しています。
日々データは出るようになっていますが、
今月、1ヶ月を見ると
1 60年代 懐かしの宝箱: トップページ 44.0%
2 60年代 懐かしの宝箱: 真空管通販 3.4%
3 60年代 懐かしの宝箱: 吉祥寺 2.7%
4 60年代 懐かしの宝箱: 模型 2.3%
5 60年代 懐かしの宝箱: オーディオ 1.9%
6 60年代 懐かしの宝箱: 大人の科学(シンセ) 1.7%
7 60年代 懐かしの宝箱: 60年代回顧 1.6%
8 60年代 懐かしの宝箱: 秋月電子の通販 1.5%
9 60年代 懐かしの宝箱: Tゲージ ジオラマ 1.3%
9 プロフィールページ 1.3%
となっています。皆さんの印象と合っていますでしょうか。
サイトにはムービーも発表されております。
http://www.roland.co.jp/video/vf6/index.html
おかげさまで司会の大任も終え、本日は吉祥寺「まぐろ人」にて家族でプチ打ち上げ。
まず、高いネタを頼んでも怒らない宣言から。
鉄火・カニ爪・ホタテ・アナゴ・金目・2色相盛り、平貝、丸得3点盛り、青柳、あじ、さらに2点ほどで・・・
家族3人で一人あたり1300円ほど平均の安さでした。
ということでお疲れ様でしたですが、
フェスティバルは力作コンテスト時代から含めて10回以上になりますが、何かしらの役どころでかかわり、このところ6回は司会をやらせて頂いております。
ここ4回お手伝いを頂いている円城寺佳子さんはケーブルTVの番組も持たれ、レポーターほか、いろいろでご活躍で、恐縮するしだいです。
受賞の方々おめでとうございます。
素晴らしい作品が選ばれたこと、皆さん是非ムービーでご確認ください。
お休みのお昼に、さっくり食べられる丼ぶりもの。
吉祥寺で親子丼といえば、「比内や」が有名ですが今回は東急裏、藤村女子まで行かないゾーンの豆腐&地鶏のお店「燈庵」
こちらが親子丼。お肉は小粒でしたが、お味は確かです。
そしてサイト情報の地鶏のカツ煮膳を!しかしもうだいぶ前に止めたそうで。しかし申し訳ありませんの一言もありません、迷惑ですので早速情報は更新ください!
ということで、かわりに地鶏つくね&豆腐カツを頂きました。
こちらはご飯が白飯か五穀米が選べます。美味しいお味噌汁でしたので他のお料理もたぶん美味しいのでは。
デザートがつきました。黒糖ゼリー。
本日は母との昼食でしたが、このお店の入り口は急な階段の地下で、中も暗く、廊下がすべりますのでご年配の方はご注意を。地下1階なのに中庭があります。
食事が終わって、お店を出ると2軒となりのスイーツ屋さんで妻とお友達が食事をしておりました。
これは、DV-7ビデオ研究会の中心メンバーである千葉さん、同長野支部の中心メンバーである中澤さんが中心になって、長野県民なら全員が歌えるという「信濃の国」の歌の映像化が出来上がりました。
先日のDV-7研究会の活動報告がされました。これは長野県各地の映像を入れただけでなく、難しい歌詞を平易に説明したもの、この歌にまつわる話のインタビュー、カラオケまで含むもので、音楽はこのために収録されたものであって、映像編集もDV-7DL PROが使われましたが、膨大な画像の量を安定編集できたのも編集専用機DV-7DLPROだからこそ。まずパソコンでは出来なかったでしょう・・・
一部を拝見しましたが、本当によく出来ています。早速学校の教材になったというのもうなずけます。
長野県民にとってもこの「信濃の国」の歌は特別な歌です。
長野県を南北に分割しようとする分県意見書案が中・南信出身議員らから提出され、可決されそうになった。この際に、分割に反対する北信地方民と東信地方民が占拠する議場の傍聴席から、突如として『信濃の国』の大合唱が沸き起こって、分割を求める県会議員たちの意思を潰して、分割を撤回させたと言われています。
1968年に県歌に制定されたそうですが、1960年代の初め、長野県松本の小学校にたった1年在籍した自分も1番はどうにか歌えたりします。制作したDVDは県下の610の学校に配られたそうですが、自分の通った学校にはとどかなかったのは残念です。1963年有名な開智小学校と合併、廃校となったためです。廃校の詳細はこちらです。
大阪ビデオくんクラブは以前私が講師をしていたビデオクラブです。1997年頃から毎月、100回ほどセミナーをやったと思います。自分はこの時に会員さんから学んだそして自分自身で研究した資産がいかに大きいか・・・
そんな感謝も込めて今回はセミナーを実施させて頂きました。
3月と言えば年間の優秀作を決める月でした。今は当然作業をすることもないのですが、今回皆さんの投票を拝見して、懐かしく思い出しました。
会員の方の中からTVFや、エディロールのビデオフェスティバルに入賞している方が何人もおられます。
DV-7を操作しながら説明をしますと何年か前が蘇ってきます。
現在、このクラブには、元NHKの黒田先生や、DTMの製品デモンストレーションもされる岡崎さんという常任講師さんがいますし、年に何回か、ビデオサロンで執筆をされている近藤洋史さんが先生をされています。
京都にビデオラボスタジオさんが世話役をされているところが大きいでしょう。そして全国会員も募集、そして登録がされています。
先日の浜谷さんセミナーやエディロールビデオフェスティバルの報告や、今だからこそ確実にしておきたいDV-7での編集環境、リリース間近のF-1専用の簡単編集ソフトの実演をしました。
終了後、早速有志の方のお話をお聞きしました。こうしたコミュニケーションこそ資産だったはずです。
皆さんご存知のように企業系では元気のない経済情勢ですが、ここにはそんな元気のない状況はありません。皆さん新しいものに積極的、日本の発展を作ってきた先輩たちはビデオの趣味の世界で健在です。
朝10時から約10時間ちかく、ビデオ・作品研究が続く訳ですから。
ビデオフェスティバルの準備実施から土日返上で今日まで来ましたが、明日は代休を頂き、今日は自腹で大阪泊、始発の新幹線で東京に帰ることになります。
3月1日に浅草で実施されたものですが、浜プロさんのブログにも掲載されています。
http://hamapro.blog.so-net.ne.jp/2009-03-02-1
今回はビデオフェスティバルの見学、懇親会、活動報告、ビデオサロン執筆の近藤洋史さんを囲んでの質問大会。そしてこうした最新、一流どころのセミナーを実施するDV-7ビデオ研究会。
北海道や、九州と言った遠方から皆さんおいでになるのもうなづけます。
そして今回は近隣の方で、浜谷さんのセミナーを受講された方もいますが、こうした自由な対応も嬉しいですね。
有益な情報は是非多くの方に聞いて頂きたい、サポートをしたものとしての実感です。
全国各地でクラブの活性化が叫ばれていますが、やはり浜谷さんが言われたコミュニケーションの重要性です。
ご多忙・体調で参加できなかった方は残念でしたが、次回はこうした機会をご利用ください。
3月5日は、大阪のビデオラボスタジオさんのご縁で、ハイビジョン研究会でセミナーをやらせて頂きます。
近藤先生や浜谷さんから教えて頂いた最新のエキスもご披露致しましょう。
第14号は1961年。しばらく60年代が続くので目が離せません。
表紙のザ・ピーナッツに始まる、バラエティーの金字塔。
そして若大将と、60年代文化は花咲く訳です。
テレビ・映画などの懐かしい話題はホームページをごらんください。
60年代 懐かしの宝箱 (coocan.jp)
2月28日の発表会で発表された受賞作品がローランドのサイトに掲載されています。
札幌支部訪問でお会いした菅原さんも入賞。エディロールビデオフェスティバルは第1回の総合グランプリ、第4回の部門グランプリに引き続き3回目(最多)の受賞です。
作品ムービー掲載も近日中です。
土曜のイベント+夜間のセミナーに引き続き、日曜の本日も早起きで浅草へ。
雷門、仲見世を通り、会場へ。
浜プロこと、浜谷修三氏のビデオセミナーを9時から実施。
収録から学ぶ映像の基本、最新撮影機材について。
F-1、V-8、P-10も紹介。
自分から補足もさせて頂きました。
音声イコライザー、動画拡大をDV-7での操作です。
参加した方はこの2時間ほどの有益な情報の数々。
ぜひ参加して頂きたかったところです。
質疑応答。12時で終了しました。
搬出後、有志の方々と浅草寺を抜け
昼食はてんぷらの老舗、葵丸進の天丼。
解散とともに横浜へ
さて横浜で開催されていたTVF、
なんとか、JVC賞に間に合いました。
ご応募でお顔を拝見した方が多くいます。
最後に31年間を回顧するコーナーがありました。
私が以前ふれました「当初の目的を達した」ことについては
羽仁進さんが否定したことと
会社は経済上の理由もあることを表明したこと。
会場をはじめこれまで支援された方々への正直さは
この企業の誠実さであり、無念さだとも思います。
社会や文化で一企業でできるのは本来微力であることは当然のことであって
本来の期待にこたえるためにも企業活動は健全である必要がある訳です。
支援者の共感がその企業への経済活動に繋がらなければ経済的に崩壊するでしょう。理想は高くとも、続けられるイベントの規模もあります。
ひところから言われていたように、主催企業とは違うメーカーばかりの機材の中、
ここまで運営されていたことは寛大であったのでしょうが。
大林さんは連日で、お疲れでしょう。昨日はステージでとなりでいっしょに進行しただけに、今日遠く席から見るのも不思議な感じもしました。
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