懐かしい再会
高校を卒業したのは1973年の春。卒業の日、新大久保駅近くの喫茶店に入り、再会を誓った4人がいました。あのころの高校生、僕らは喫茶店などに入るのは「不良」という時代だったけれど。解禁は大袈裟でしたが、何時間か粘ってまた何年かのち、この新大久保のでのと言う話であったと思います。(そのころから流行だしたラーメン店訪問の後?)
それから、何度かクラス会もあったけれど、4人皆が揃うことはなく、丁度2週間前メールを交換して再会することとなりました。その再会した場所は、懐かしい高校のある新大久保。あのアナウンサーの徳光和夫さんは昭和34年の卒業生でわれわれの先輩、われわれの後輩たちは東大合格数全国10位以内とがんばっております。
せっかくなので、今の学校の様子を見てみようということで。自分は懐かしい大久保駅から徒歩で集合場所の新大久保駅へ
山手線から見えるロッテの工場の向こう、変わりません。
授業を受けているとクールミントガムやコーヒーガムの匂いが日替わりでしたものです。
懐かしい戸山小学校の複雑な角。
校門も、昭和のはじめにできたバルコニー付きの校舎はもうありません。
↑ありしころの校舎(今回参加のY君から画像貰いました)
懐かしい銅像の前で記念写真
グランドは小さくなった感じもしますが、プールは場所が変わったようです。
そして、習った教室のある校舎も残っていました。多感な時期だけに思い出は多いです。
さて宴会は韓国家庭料理「おんどる」で
懐かしい話題や、家族や仕事の話で盛り上がりました。
帰りの大久保駅の屋根、たぶんあの1970年代と代わっていないと思います。
ということで三十数年ぶりの旧交をあたためました。
今月、第2の人生を歩みだすという友人もいて。しかし、僕らの世代は石油ショックの後、就職がまだ悪い時期ということもあって、転職経験者は多いのだけれど、他3人は入社して一図にその会社に勤め、ただ一人3つを経験する自分も、今の会社は22年になり、あと5年を残すという、次を考える段階。
担当職の自分としては裁量もない訳で、部門長をする友人の話の「メンバーを食わせる重責」は自分の日ごろにない苦労、上司の意見の違いなどを聞くと、自分のやっているのは年下のリーダーたちに先任風を吹かすことなく、少しでも仕事をしやすくしてあげることぐらいであることに気づく訳です。
こんな時期、いろいろな話を聞き、思うところの多い懐かしい、そしてあのころと変わらぬ友人たち、健康に気をつけて、また再会しましょう。
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