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どう見せたら判り易いか、考えると編集は凝ったものになります。尺は1分ほどですが、タイムラインは結構手の混んだものになります。
日頃からやっている編集力を問われる感じですが、また醍醐味もあります。
タイムラインもかなり複雑な編集ですが尺は1分になりました
このボコーダーは特集に掲載したものですが、大規模になりがちな回路をどこまで簡略化できるかに挑戦したものです。原型は1980年頃にやったものです。精度を上げようとしても努力ほど効果が小さいことに気付いていた当時、逆転の発想でした。ボコーダらしさをどこまでスケールダウンできるかでした。同じ回路の繰り返しになるので、回路数と1回路の簡略化です。当時ハーフラックが流行ったこともあり、その小ささにボコーダが入らないかというのがありました。ボコーダではキャリアとなる楽器音に十分な量と広い帯域の高調波が含まれていないと十分な効果が得られないという課題があって、そのためにホワイトノイズを混合し、それでも足りないところは入力ボイスから子音成分を混入させるといういわば「ズル」なのですが、このあたりの力を借りた機能を搭載しています。細かい表現の前にダイナミックスが印象を決めているところもあります。分析フィルタの数を減らし、効果の大きそうな帯域をフォーカス、分析帯域特性も簡単なものにして回路規模を縮小しています。ということで画像のようなコンパクトなラックエフェクタとなりました。下段は同サイズのフェイザー上は5ch入力のミキサーです。最下段がこのラック用の電源で、コネクターやカードでの脱着ではなく、背面のターミナル接続です。実験拡張の便利さを考えました。
昨日終了のヤフオク関係の連絡発送は丁度オープンテープの処分中だけに多く昼過ぎまでかかりました。今月のDV-7DVD新刊も注文もあり、追加の生産・発送を行いました。夕方からでしたがムービー制作の準備をはじめました。
特集のリバーブは残響の原理を理解する意味もありました。いまならデジタル信号処理でしょうが。昨年ギターエフェクタで空間系の記事を作りましたが、市販のリバーブモジュールの中には、以前特集でやったこの方法をとっているものもあることを知りました。
一見力づくのようなアマチュアライクな方法も楽器にはプロを含め実践的な方法として存在する訳で、けっしてばかになりません。常識的、教科書的発想だけでは新たなサウンドは生まれてこないでしょう。
独奏音を入れると多重奏音になるエフェクターですが、単体製品として出ているものはそう多くはありません。特集記事ではユニットに三菱のディレイICを使いましたが、キット用に起こしたBBDのユニットに置き換えています。特集記事ではできるだけいろいろなデバイスを例示したかったというのがありました。アンサンブル回路は昔楽器設計をしている時、多くの種類の検討をしたことがあります。このあたりは連載のストリングスアンサンブル回路で紹介しました。ムービーでは効果と波形で理解できるようにしました。入力される信号の周波数でもアンサンブル感は変わるのでそのあたりも理解できる構成にしました。製品設計では3つのBBDを並列に使うことはコスト的に厳しかったのですが、検討はやっていたのでここでそれが活かせました。様々な構成や変調周波数の組み合わせを日々行ったこと懐かしく思い出しました。約2分少しのムービーにまとまりました。
特集で掲載されたものです。記事にあるように、フォトカプラーを使った状態変数フィルター。昔自作のシンセで使いました。特集では時間がなくて、昔から手持ちであったフォトカプラーを使いました。オートワウとして、、外部接続してぺダルワウとしても使えるなど多機能なので、ムービーの見せ方も波形表示も含め工夫が必要になりました。
記事化後、秋月電子などで販売する最近のフォトカプラーとの比較をしました。最近のものは感度が高くそのままの置き換えはできないですが新デバイスに合わせた設計をすれば同じ音色にはなりませんが使えることはギター用のワウを作って判りました。特にオートワウではフォトカプラーはレスポンスも音色を作っているところがあります。
手際よくカットを並べて、2分半ほどの長さで、ペダル動作も含めて紹介できました。
OPアンプは1個しか使っていない小型シンセで、主に効果音づくりが得意です。C-MOSゲートをアナログ利用しています。もともとこの構想は、昔安価な電子キーボードにプログラムマブルシンセの機能を付けることで考えはじめたのですが、やろうした機種が無くなってしまった・・本当はOPアンプさえゲートICに置き換えなのですが、無理せず1個は使っています。VCO波形は矩形のみですが、これはVCAを簡略化し、VCFはその後に後置するという反則技、パネルも凝縮しているのでムービーではこのあたりを紹介しています。午後3時には編集も終わり、収録編集で90分ほど、出来あがりは2分30秒のムービーになりました。操作、出音に加え波形表示も加えています。
シンセ関係の大物のムービー制作が概略形になってきて、次の段取りを本日中に済ませ遅れた日程ながら少しながら巻き返しが見え始めてきました。
特集の中では当初計画には無かったのですが、締切前の最後の打ち合わせでラックのシンセを掲載したいという話があって、構想設計製作で2週間で作ったものです。アナログシンセを作るのは35年ぶりくらいでしたが、今回はシンセの原理が判り易く、OPアンプ回路の組み合わせで電子楽器が作れること、どうしてもエフェクタによる音加工中心の中で音の出るものと言うこともありました。
ムービーの方は各ブロックの原理動作お判り易く、波形と音で紹介し、製作した際の確認把握になる構成としました。ラックサイズのため試作台での撮影は難しいのでアトリエの机の片付けを朝からはじめたので収録が始まったは16時過ぎでした。波形で見て判り難いところは、操作収録のやり直しが入り、夕食後の編集開始で3分30秒のムービーにまとまりました。
ムービーの構想はありましたが段取りに時間がかかり手際良いテンポで操作し全体を網羅するというのはなかなか内容のあるところとなりました。ツマミ操作・音・波形の間にパッチも入ります。
この特集で掲載したシンセの回路は昔個人的に作ったことのある回路の中からアレンジしました。時代的にみるとディスクリート、OPアンプ、専用ICと進化して行きます。OPアンプで構成した時代でも時期があります。今作るならというのもあるでしょう。そのあたりで、トラ技に向いたものを考えました。
いわゆるロータリーエフェクトです。2015年8月号の特集のステレオ・コーラスで、トラ技キット版のコーラスにより電源電圧9Vとしています。この回路はもともとメーカー時代、海外のショー向けに電子ロータリーを開発したものですがそれが製品としては「お蔵入り」して、その簡易版を電子キーボードに入れるため電源を+7Vとして製品量産した回路がもとです。今では+7Vのレギュレータにめぐり合うことはまずないですし、当時のようにC-MOSや汎用ロジックのインターフェースを簡略化してやる必要もないので、電源電圧を一般的な9Vとしました。確か西武球場に入れた3台しか作らなかった電子オルガンにも入った回路もこれの流れだったと思います。メーカーに入った最初の仕事はジャズオルガン音色のキークリックを入れるもので、2カ月ほどで試作・基板設計・改造組み込み、その後の仕事が電子ロータリーエフェクトの試作開発でした。海外のショーは3月だったと思うのでこれも3カ月ほどの仕事だったと思います。量産化はOEM版のキーボードが先になって、OEMもとの海外エンジニアのトップが来て音評価をし、要望を目の前で修正した記憶が残っています。OEMだけに変更は絶対的でしたが、音の追い込みは片言の英語と見よう見まねでやった思い出があります。この回路は150万円ほどした最後のシステム電子オルガンに搭載されて終わりとなりました。それから30年、BBDの入手が再び可能となり、エフェクターに仕様設計変更して特集3章と出版社キットとして進化生まれ変わりました。
そんなことを思い出しつつ、2分ほどのムービーの中で動作確認できる映像表現を工夫しつつ収録編集を行いました。ロータリーモードとマニュアルモード、モノラルとステレオで2分×2本のムービーが1日で出来あがりました。
休日に蔵書を整理しています。オーディオの歴史の中にはいろいろなトピックスが有り、時代変化がある訳ですが、雑誌や書籍にはその記録が残っています。それをさかのぼるのは膨大でありきたりなので、違った見方をすると面白いと思います。現代のオーディオと照らし合わすと面白い、参考になる、興味深いという年代というのがあると思います。
1つは1968年前後。時代は真空管~ソリッドステート(石:トランジスタ)へということでメーカーのアンプが変わった頃です。当時はアンプやスピーカーは自作というのは結構あったのですが、素人が作るのはトランジスタアンプではなく真空管アンプの時代でした。一方でメーカーはトランジスタ化に積極的でした。ということで球石混在の時代のオーディオでした。自分もこの頃、オーディオに入門。中学2年でした。
今時代は全く違いますが、やはり混在で高級オーディオでは真空管は大きな位置を占めていますし、廉価のものもあり、自作やキットにも真空管アンプがあります、
不思議ですが丁度50年、当時を知らない方々も見るだけで体験できるタイムカプセル。今の時代の見え方も少し変わってくるかもしれません。
掲載のこの本は無線と実験の増刊です。この本の自作はホーン型スピーカーで、設計や製作が出ています。こちらのほうは照らし合わすとずいぶん違いますが、当時の真空管アンプは能率の良いホーン型スピーカーと相性が良かったこともあります。コーン型と比べると出て来る音が違っていたこともありますが、大型ホーンは視覚的にも魅力がありました。
たぶんこの分野の話ではこの後の雑誌でも今参考になるものは少なく、今の時代を楽しみ考えるにはまたとない材料と思います。書き始めるときりがありません。とにかく工房のスペースがなくオークションに出すことにしました。当時のパーツ、著名スピーカーの構造寸法、著名アンプの回路と貴重なデータが掲載されています。
1968年前後では季刊・月刊のステレオ芸術も処分中です。
5号、7号、10号あわせて7号を中心に40本ほど持っていたことがリストに残っています。1本、1本いつどんな内容を録音したか音源など履歴まで書いたものですが、昔は我ながらもの好きな暇にまかせた自己満足の作業・・・と思ったものです。当然ながら完結せず途中で終わっています。しかし今ここで役立つとは・・・レコードからのコピー、FMのエアチェックもありますが、中にはFMのライブ録音など貴重な音源もあります。リールや箱が変わってしまったもの、切断して分けたものなど今となると、リストをもとにパズルを解くようです。確認に合わせ、デジタル化も行います。
その中で録音時期や目的がよく判らないのがタイマー録音をしたもの。当時は精度がなかったためか、ニュースや番組間のCMまで録音されています。その中の断片ですがロッキード事件の報道があります。1976年のFM放送と判りました。
動作のポイントをどう見せるかという工夫は、ビデオ技術も必要ですし、音と映像の基本、そして動作のしくみが一体化しているところです。もちろん出音勝負のエフェクタですが、製作する方々がその前にする確認には必要なところです。数学ができれば天文や物理が解決するという訳でもなく、回路ができれば楽器エフェクタができる訳でもありません。楽器の中には常識なら間違っているだろうとか、おかしいだろうという回路さえ存在します。シミュレーション万能の世の中ですがそれだけではありません。そんなところを埋めるのが感覚と動作や機能を連携できるか、その当たりを理解伝えるにはムービーは一役かってくれそうです。
それだけにどう聴かせどう見せるかは悩んで工夫やりがいのあるところです。掲載ではアイデアレベルでしたが、その後トラ技ディレイ基板を2枚使って作った2chディレイの動作を見せるムービーを作成しました。ディレイ篇はこれまでと合わせて3分にまとまりました。
今週は、連休、打ち合わせ、研究会があった上に、指を痛めて療養・通院治療で不自由な思いもしたりで進捗は良くありませんでした。一方でこの2年基本から取り組まなければと思っていたところも集中してやってみるといろいろ見えてくる。この調子タイミングで懸案事項を整理解決して行こうと思います。
オーディオ装置のことを「ステレオ」と言っていた時代があったと思います。1970年代では「コンポ」と言うとコンポーネント・ステレオのことでした。自分の先輩たちに聞くと、それが「電畜」だったり、自分が音響を習った大学の教授の話では「HiFi(ハイファイ)」だったりします。「ステレオ芸術」はラジオ技術社から発行されていた雑誌で、1967年季刊として創刊されたようです。ハード(ステレオ装置)とソフト(音楽ソース:レコードなど)両方を扱う雑誌でした。自分がたぶん読むようになったのは1969年の春ころ、その前の年の秋には月刊化されています。
音楽はクラシックが中心で、オーディオ装置は回路は掲載されず、量としても1/3もなかったでしょう。新製品の情報と評価や特集、クリニックが掲載されていました。後年入手したものですが、当時読んだものを除いて処分整理することにしました。
1960年代、2年間通った小学校ですが、入手した情報で久々に更新しました。
小2~4年でしたので卒業アルバムも名簿もなく、友人の名前なども記憶の中だけです。でもいろいろな方々のご支援で少しづつ形になってきました。
2015年、小中統合で廃校になったことで、卒業された方々でも懐かしい・・・と思われる方もおられる方がいらっしゃると思います。
港区立神応小学校頃のこと
先日入手した資料「増補港区近代沿革図集」ですが、昭和47年に発行され絶版となったものにその後の1986年、2007年の地図を加えたもので、これもすでに発行より10年がたっています。しかしよく見ると、昭和16年が消えて昭和12年に差し替えられ、そのかわり昭和22年が追加されています。
昭和37年~昭和39のまる2年だけ住んだ場所ですが・・・
昭和12年の地図を見ると玉川電車が天現寺橋まで来ており、東京市電が専用線で恵比寿方向に向かって行きます。外苑西の道はなく、豊沢、白金三光町の停留所があります。増補で無くなった昭和16年の地図では道路がありそこを市電が走っています。昭和19年にこの線は廃線となり線路は鉄材として供出されたようです。1962年当時、父はこの広い道路から都バスに乗って目黒の仕事場に通勤しましたが、この広い道路に都電でも走っても不思議ではない・・・と思ったのもまんざら外れた話ではない・・・あらためて道の形成は不思議なものだと思います。当時北里大学前のバス通りから入る豊沢の通りの不思議さを感じていましたが、昔の地図をみるとうなづけるものがあります。環状4号の計画線や、御領地が自然教育園になる過程などいろいろなものが映し出されて行きます。
2,3年前に1970年代のものは持っているのですが、1960年代のものを見てみたいと以前から思っていて入手することができました。10冊揃いですと箱があったんですね。古いものですがほとんど読んでいないものでした。内容も以前捜して、結局国立国会図書館の遠隔サービスで複写して貰ったものと同時期のもののようです。確認していて気付いたのは表2に蔵書印があることで驚いたことに「株式会社マイクロトレーン」とあります。ご存じの方もあるかと思いますが、ソニーがNゲージ模型を製品化するために作った子会社で、1963~1965年ころ存在し、製品発売することなく消えた会社・・・とするとほとんど読まれていないことも、また各巻の出版年も符合する・・・このシリーズでは発行年で内容も変わっていることがありHO車輛とレイアウトの工作では時期により掲載されるキットが変わっていたり、トランジスタ・ラジオの工作では使用トランジスタの品種がかわったり、そのためか巻頭のグラビアが後年なくなったりで、時代変化と内容には興味深いものがあります。
これには驚きました。
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