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草はウッドランドのターフの直撒き、草むらはコースターフのやはり直撒きですが、どうしてても単調になります。そこで質感と撒き方で変化をあたえるのが「わさび漬け」テクニックで、コースターフをベースに異なる色のコースターフやターフを接着剤の溶液で練って盛ったり、それを引き伸ばしたりして茂みから蔦まで表現する方法で、雑誌や書籍ではあまり見たことはありません。接着剤の濃さで壁面にも固定できます。中国製の木は枝を着色、分解剪定して使っていますが色が派手目で質感も単調なので水性カラーの濃い目の緑を粗く入れると陰影が出て質感が増します。
4/20にメーカーサイトで公開されていました。本年6/30を持ってメールなどを含めた製品サポートが終了することになったそうです。2年前の3月末電話サポートが終了しましたが、今回、修理、ダウンロード、ガイドサイト、Q&Aフォーラムを除く、操作疑問などの対応が終了することになったようです。
https://proav.roland.com/jp/support/support_news/201804192116/
終了まであと約2カ月残すところになりますが、
昨年末廃版としたDV-7解説DVDを再版することにしてこれからに備えていただくことにします。
早くも線路部分の彩色調整に入り、細かいパウダーを追加して踏み固めた地面などを出しています。そろそろ建物の準備とスペースの調整に入りました。
こうした線路中心のレイアウトでは建物(ストラクチャ)が結構効果を出します。既存のメーカー製も種類が多くなってそのまま使っても違和感は少なくなってきました。とは言うもののスペースの小さなレイアウトでは既製品をそのまま使う訳にも行かず加工も必要になります。またイメージにあったものにするにはアレンジも必要でしょう。食玩系のものもあるのですが、彩色までしてあって簡単ながら加工はしにくい構造が多く、ここはメーカーのキットを材料としてないところは作るということになります。今回は機関庫がそうですが、少し手間がかかりそうです。早くも登場させる車輛で具合を見ながら、調整します。
1960年代前半まで山などの地形は大型の施設のレイアウトで使われた金網+石膏という工法が多かったと思います。1960年代の後半、月刊「鉄道模型趣味」で紹介されたハードシェル工法では帯状のボール紙の地形に建築用のしっくいやプラスターのような材料をペーパータオルにしみこませてたものを乗せ固めるものでした。おそらく今のレイアウト製作ではこの方法の流れも多いと思います。1980年代以降になると模型メーカーから地形用として専用の材料も発売され一般的になったと思います。
自分の経験では移動型では破損や重量がやや重いこと、プラスターにもよりますが加工しやすい時間の幅などから、大型でなく部分的な地形であれば、今回のように発泡系の材料の芯を入れて表面は紙粘土で仕上げることも個人的には多くなってきました。
プラスターに比べると繊維質であり、特にかたまりかけに水分をいれてもどした紙粘土はダマがあります。これによりプラスターで必要であった表面粗しはまず不要です。
いよいよ地形製作に入りました。コントロール・パネルを隠すように山を作ることにしました。従来小型セクションではスペースの関係からレリーフ状の背景とすることが多かったのですが、今回は山を控えた機関区の感じから自分としては珍しく起伏の地形を大きく入れることにしました。軽量化と強度からベースはスタイロフォームです。重ねて厚みを取り、カッターで概略地形をカットしました。
いつもベースは4方向から見る形としますが、今回は山を背景側として、手前は開けた敷地とすることにしました。この大きさでは全ての場所を使って凝縮したものになるのですが線路手前にかなり大きなスペースを作って背景のせまり来る感じを出そうと思います。
パイオニアのマークの入った試聴用テープ。パイオニアのラジカセに付属していたものです。
マジックで曲名が書いてあります。
B面は本来ブランクですがB面にも同じ曲名。当初は繰り返し同じ曲が入っていました。こんな乱暴な落書きがされていなければ大変貴重な感じもします。
このテープは製品に付属したサンプルテープ、ラジカセ用のものでした。同じ曲が何度も入っていたのは別に好きな曲を入れたのではなく、テストのためでした。
ラジカセはスピーカー内蔵で音を出しますから音圧でいろいろなものが共鳴します。特にケースの構造は箱とふたというものが多くそのつなぎでは振動で異音を発することがあります。対策としては不織布を貼ることが多いのです。その確認のはスイープ音を録音したテープを再生します。これはサイン波なので結構厳しい試験なのですが、製品固体で個性差もあるので、生産ラインで1台づつ行っていました。製品が完成した段階の最終検査では音楽で試験をするのですが、その曲は岩崎宏美の『センチメンタル』でした。
パイオニアのラジカセ研究
最近やっていたエフェクタームービーの制作で思ったのはどう違いや特長を伝えるか・・・ということでした。音と映像で伝えて行く訳ですが、結構難しいというのがありました。この2カ月ほどかかったことになるのですが、少しおろそかになっていたオーディオででも似たようなことがすのではと思いました。
タイミング良く話題にできませんでしたが、最新号は1月発売で大分たってしまいました。
ビンテージものもありますが、300Bもの聴きくらべやふだん使いのMM型カートリッジ試聴など実用人気の中で、どう違いを伝えるかというのがあると思います。
やはり実際の音が何よりですが、機器の組み合わせやソースでも違いあるでしょう。簡単なことではないと思います。物理データにしてもそうれをどう判り易く、音とつなげて行くかというのがあると思います。
人間ドックの結果に気をよくした訳ではありませんが導入してみました。今利用の複合機はオートローダー付きなので複数枚もののドキュメントは効率よく読み込んでくれます。しかし本では裁断できないものがほとんどで大量スキャンは時間労力とも大変です。
古いOSにも対応しているというので、不活用PCを利用しようと半日メンテインストールしましたが結局2台だめで、DV-7G用のWin7VAIOを起用となりました。こちらはインストール設定確認へと10分でOKでした。A3までOKで2頁を1秒ほどで取り込みます。自動トリミングや3秒などの自動タイミング取り込みなどいろいろありますが誤動作もあるので、自動機能は一切なしですがそれでも効率的な取り込みができます。
新宿御苑でのお花見で企画しましたが今年は桜の開花が早く近隣の新宿3丁目でのお食事会となりました。各自それぞれお花見を済ませた報告から始まりました。終わってみるとたっぷり4時間の会で確定申告・年金・保険・介護・健康・旅行そして昔の会社、同僚先輩のその後などいつもながら大変充実した内容でした。
自分も含め6人中5人は入社2~5年で退社したOB組、自分を含め卒業して他社を2社以上経験した者たちです。出てみて改めて会社のいろいろを知ったところがあります。30年以上もたつと業界や世間の変化も大きくあってまさに諸行無常。あの時もしはありませんが歩んだ道に後悔はないでしょう。卒業して入った最初の会社で学んだところは今でも大きかったと思います。
4日夕方からネット接続がおかしくなり、モデムの再起動をすると一瞬回復し、また不接続となる現象がくりかえされ、自分なりに規則性を見つけ深夜にプロバイダにサポートメールを書いたところ半日後、回答メールが来ました。
ブラウザやドメインでふるまいが異なり、深夜まで煩わされましたが、判ってしまえば簡単なものでした。ということで本日は睡眠不足で、午後一時眠ってしまいました。
実はインターネットメールなのでメールを書くのも大変だった訳ですが、複数のパソコン、ブラウザ、OSで異常現象が確認されたことからモデム以前も問題と判りました。モデムリセット直後はDNSが正常取得できるので新たなドメインに飛ばないかぎり使えるという現象でしたが、再読み込みをした段階で一切不接続になるというものでした。
月刊はすでにデュプ盤面から発送状態まで行き、3日先行、新刊はチェックで音声レベルの修正をしました。こちらは先月のテクニックの続巻です。盤面、テキストなど生産関係を残し10日リリース予定です。
はじめてこの雑誌に出会ったのは1969年の5月頃のことだったと思います。正確に覚えていた訳ではなく、後にこの雑誌と再会して1969年6月以降の内容を覚えていた事からです。ですからそれ以前のこの雑誌のことも知りませんでした。1967年に季刊で創刊され、季刊は5号まで、1968年11月号から月刊化されたらしく、自分がであったのは月刊化から半年を過ぎた頃であった訳です。音楽はクラシック音楽で誌面比率も多く、この頃はオーディオはけっして多くはなく、断片的なものでした。ただまだ製品のラッシュがある訳でもなく、誰もが知識関心を持っていた訳でもなかった時代の月刊誌です。名曲盤のオーディオ的セレクトや有名作曲家のベスト盤などLPが2000円でなかなか買えなかった時代には200円ほどの雑誌で次はどのレコードを買おうか・・・そんな時代だったと思います。今の常識からはなかなか想像もつかないところですが、1960年代の貨幣価値を対比すればレコードがいかに高価で貴重であったかは判るところでしょう。今季刊の頃の誌面をみるとデータやまとめが大変充実しており、月刊化されてからは逐次情報的内容がほとんどになったことが判ります。ただ音楽家のオーディオセットを選んだり、読者のオーディオを改善するなどの企画は他になかったものです。
場所不足からオークションでの不要な号の出品も終わりに近づきました。ご落札者様からは懐かしい・・のご評価をいただいております。また当時をご存じない方からもこの雑誌の良い再評価をいただくのも70年代に入ってこの雑誌が変貌する前のこの時期だからなのではと自分は思っています。それぞれのところへ旅立ち、過去の思い出に、新たな発見につながるのは幸いです。
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