亡き父の墓参
お盆を過ぎてしまいましたが、19日が父の命日だったことも有ります。暑い中、母を連れて母がベランダで育てた草木を持って本日の墓参となりました。母の手を取り感ずるのは年々とくに足の動きが悪くなることでしょう。お墓については高齢化や後継者からなかなか良い場所が見つからなかった当初からこの場所を見つけ墓を作るまでは、当事者の苦労に関わらず心ない言葉も親戚から有りましたが、お墓がなくお墓で苦労した者ではないとなかなか判らないところかもしれません。最近でこそいろいろな形態の弔いの話もニュースになりますが父が亡くなった10年前はまだでした。公共の墓地の抽選にも毎年落ち、たまたま来たDMと新聞チラシで巡り合うこととなりました。墓石には父の好きだった野球の道具が、生まれ育った故郷の城も水入れにデザインしています。親戚も知らないと思いますが墓開きでは本家の墓の土を一握り墓に巻きました。お墓に関しては少子化や死生観、墓地の不足などからいろいろな話が出ています。昔からネット上のホームページやブログも作者の思い作者の手を越えてを広く世界や時代に渡り伝える可能性を持つと感じています。管理維持の問題はあり簡単ではない話ですが、最近多い墓石への題字を見ると何か感ずるものがあります。
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