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トランジスタ技術に昔寄稿したものです。ミキサーの母体は1977年大学の学園祭のPA用に製作したもので会場でも売って欲しいと言われた記憶があります。最初はディスクリート回路で作ったものですが、VCAに換装して発表したものです。当時ですのでPC-8801 での制御でした。ミキサーとして参考に出来たのは1975年頃の無線と実験の記事や同誌に折り込まれたヤマハの卓の回路図でした。エフェクトやモニターのミックス、センドリターン、グループミックスのほかチャンネルキューやトークバック、基準オシレータなど搭載しました。8chでしたが、バランス入出力、個別EQなどを考えるとこのあたりが製作の限界でもありました。家ではティアックのマルチトラッカーに接続多重録音を楽しんだものです。
創刊されて1,2年というところで、大塚明さんの電気知識連載、デジタルクラフトと関連も充実していました。別記事でサンプリングマシンの自作が3回連載ほどで掲載されました。基板頒布もあったようですが、自分は万能機板で製作した記憶があります。この頃は仕事の楽器技術でシンセやエフェクタの設計をしていて残業も多かったのですが、それでも時間外には研究で作っていたことになります。完成して録音サンプリングしてキーボードで弾いた記憶があるのでCVでVCOを動かすようにしたか、ギターシンセ自作で実験していたPLLを利用してかけたかしたのでしょう。先日紹介したPROFESSIONAL CRAFTSはNOAH'S ARK名でこの年の秋まで連載された記憶があり、最後はデジタル系アイテムの製作で終わったと思います。
偉業はニュースのとおりで70年代、80年代のヒット曲の数々。60年代GSでも「バラ色の雲」などお馴染み曲も。沢山のヒット曲は思い出そのものでまさに時代を作ったと言っても過言ではないと思います。特に洋楽センスを盛り込んだところは、ニコッとしてしまうほどうまく出来ていたり。新人の曲を作り世に送り出し方として素晴らしいものがあったと思います。例えば1971年 17才 南沙織/1972年 芽ばえ 麻丘めぐみ・男の子女の子 郷ひろみ/1973年 赤い風船 浅田美代子/1975年 ロマンス 岩崎宏美・雨だれ 太田裕美/1976年 東京ららばい 中原理恵/1981年 ギンギラギンにさりげなく 近藤真彦/1982年 センチメンタル・ジャーニー 松本伊代/1985年 「C」 中山美穂 ・Temptation(誘惑) 本田美奈子など
60年代の「みんなのうた」の映像・音声残存は一般にはみんなのうた
DVDで発売されている第1集~第3集の38作品と第4集の2作品
くらいで、1960年代は342作品あったというのですから本当に残存は
少ないと思います。
この他、DVDにされずNHKが持っていると思われるのは「雨の遊園地」
など7作品、過去BS特番などで一部放送されたものがあります。
NHKのサイトを見ると発掘プロジェクトで15曲が発見されていますが、
60年代の前半曲は「逃げた小鳥」1曲です。
昨日サイトを見たところこのうち「木の葉くん」が今月放送
木の葉くん
うた坂本スミ子作詞佃公彦作曲三保敬太郎映像絵:佃公彦、アニメ:朝日プロモーション
初回放送月 1969年10月~11月
放送予定
10月14日(水) 午前4時35分~NHK総合1
10月15日(木) 午後0時55分~NHKEテレ1
中学の技術家庭科の教科書が出てきました。1969年のもの。ラジオはまだ真空管式 で、一応写真や図ではMT管、回路図にはカッコでST管の名前が書かれています。当時の初心者向けのラジオ雑誌ではほとんどがトランジスタでしたから丁度移行期だったのでしょう。その前年、オーディオ界ではトランジスタ移行(ソリッドステート宣言)が出て、製品としては真空管式は少数派でした。この翌年には『電波技術』ではOPアンプを使ったプリアンプ製作記事が出ていましたが、4年後入った大学の電子回路実験では真空管もまだ健在でした。卒業前のゼミではマイコンのボードを手組していたことを思うとまさに過渡期で、今思うとそれらが動作原理から体験で学べたことは貴重な経験だったと思います。
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