想い出の時を求めて~
2000年代のいろいろを振り返ってみました。様々なことがあって、現在につながっています。そして今、できることがあるように思います。環境や人との縁は大切とあらためて思います。リンクから詳細をご覧ください。
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2000年代のいろいろを振り返ってみました。様々なことがあって、現在につながっています。そして今、できることがあるように思います。環境や人との縁は大切とあらためて思います。リンクから詳細をご覧ください。
記事化された2004年、雑誌を見た東急の方からご連絡をいただき、秋の創業祭の展示が決まりました。その4か月ほどの大工事の結果です。秋にには自分にも小中高の同期、クラス会がありました。渋谷の展示が終わって1週間ほどで高校恩師が亡くなりましたが、その2週間前に恩師の退職パーティを行ったばかりで会のビデオを編集し辛うじて病院で観て貰った記憶が蘇ります。高校の幹事たちにもこの展示を見てくれただけに思い出は鮮明、この記事の中にも書かれていました。渋谷(2004年) (coocan.jp)
おなじみとなった渋谷ジオラマですでが、もともと2002年の鉄道模型趣味のレイアウトコンペに応募したものでした。当方では珍しく4年ほどをかけての製作でした。今見ると細かい作り込みも出来ておらず、結構内容も異なっていて比較すると進化の過程が面白いと思います。ブログのリンクから飛んで詳細をご覧ください。渋谷(2002年) (coocan.jp)
吉祥寺に移り住んでからのことを思い出してみました。工作環境が出来たことや、パソコン関係の技術を使えることになったこと、電子技術やオーディオ技術を活かせたことがこの時期のポイントのように思います。コンテスト入賞や記事化から起こったことで得られえたものも多くありました。
丁度のタイミングですので、サイトにまとめました。東急百貨店のクリスマスツリーコンテストで入賞したものです。音と光も利用しました。外観内部とも自作となりました。勤めているころ会社のイベントや受付に展示したこともありました。動画もあります。2000年代頃撮影して編集したもので、動作は今よりしっかりしているのでやっていて良かったと思います。このジオラマの入賞は以後のレイアウトコンペの製作応募に繋がったと思います。クリスマスジオラマ
最初の会社を辞めて、電子楽器関係で転職をし、その後、結婚して職場に近いところ住まいました。2年ほどして部門廃業となりました。会社を変わり都心に通うために小金井に転居しました。詳細はブログのリンクからホームページに飛んでください。日野・小金井 (coocan.jp)
九州女子短期大の佐藤慶治先生と論文を書かせていただきました。先日横須賀美術館で展示再生しましたが、この映像制作にあたっての流れ経緯を説明したものです。論文としてまとめて頂いたのも、またこの再現を企画ご指導いただいたのも研究者である佐藤先生のお力です。
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_search/?lang=0&amode=2&cmode=0&smode=0&direct=1&schemaid=100000&jtitle=jccs&vol=14&list_disp=50
連日サイト更新しております。いろいろ思い出してみると見えて来るものもあります。大学卒業以後のことです。いろいろありました。ブログのリンクから飛んで詳細をご覧ください。
連日、原点を辿っておりますが、1972年7年住んだ三鷹を離れ、横浜へ転居しました。高校~大学へと変化の多い時でしたが、住む生活環境そして時の流れが及ぼすものの影響の大きさ大切さを感じます。横浜にて (coocan.jp)
自分の高校時代は1970年から始まります。父が家を建て横浜に引っ越すまでの2年半についてです。受験校でしたが今思うとどうでしょうか。ブログのリンクから飛んでホームページで詳細が確認できます。この時期、電子工作への興味が広がったことが後年へのつながりを作ったように思います。受験勉強があり3年図書部活があって学校のクラブへ入れなかった事も影響します。後半は工作から音楽やオーディオを楽しむとなって行きました。
先の更新に引き続き三鷹に住んでいた中学時代を思い出しながらページを作ってみました。ブログのリンクからホームページへ飛んで詳細を確認してください。
♪赤い電車に白い帯、京浜、京浜、京浜急行♪1962年東京に出てきて覚えたCMソングです。乗って子供会で海水浴に行ったのは1963年でした。2年前、偶然「みんなのうた」関連コンサート・チケットを貰って上大岡に行った時のこと、たまたま車内で引き付けられた広告がありました。その時作っていた海岸のジオラマにぴったりの写真でした。それはホテルのものでした。ネットで探して参考にして模型を仕上げました。「大きな古時計」再現で横須賀美術館の展示が決まり、横須賀駅の近くにあるとばかり思っていたのですが調べると、京急観音崎ホテルの裏にあることを知りました。ジオラマで参考にしたのは京急観音崎ホテルの海岸、とても不思議な縁を感じます。
観音崎にある綺麗な美術館です。今月12日まで谷内六郎展が開催され、多数の作品が見られます。その中の1つで私が制作再現した映像(佐藤啓治先生企画監修)が再生展示されています。谷内六郎さんのイラスト使用の1962年「みんなのうた」では、原画や放送映像は失われています。3年前に当時の制作者の後藤田純生さん遺品の中から写真が発見されました。この写真から映像編集機DV7の表現機能を使って映像化しました。この夏に横須賀美術館の収蔵品の中から放送画面の撮影写真数点が見つかり、参考にして修正を行い今回の再現展示となりました。1962年の映像を見てから60年近く、その映像を求め10年前には自力作成しましたが、ここに来て 広く映像を見ていただける事になりました。(制作発表には各権利関係の方々のご了解をいただいております。)
昔の思い出をたどりながら、いろいろな原点をさがしています。1964年東京オリンピックの年に転居しました。小学4年でした。今考えても環境の大切さ、子供の世界は変わるものです。当時の時代の交差点であったと思います。詳細はブログのリンクからご覧ください。
建物は先日話題の北里通り、1960年代の芝白金三光町の豊沢商店街にあったところをプロトタイプにしています。週末の高校時代仲間とのビデオ通話会議で発表したこともあってこの春のコンペに出したところをまとめてみました。ごらんいただいて判るように、都電が通りを走っていたり、周りが山間であたったりとまるで夢の中でに出て来るようなハイブリッドな世界です。ジオラマ的には実景に比べると好みの別れるところで、今回はいろいろな訳でがあったことをリモート会議で致しました。ブログのリンクから詳細をご覧ください。
訳あって、月末から始めました。今回は年末の質問特集。60分で13質問と対応解説が掲載できました。
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