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RolandのリズムマシンTR808の番組でした。808が発売された1980年は社会人になって個人で研究をしていた頃です。オリジナルパターンが作れることでは初号機のTR78を買って分析をしていた時期でした。転職して他社製品として808を解析したこともありました。再度転職して開発者ミスター菊本から808の開発話を直接き聴いたのは30年前でした。10年ほどでしたが菊本さんのもとで部門リーダー・開発リーダーをさせて貰えた事は宝だと思います。開発中の初の映像製品に思いついたクロマキー回路を搭載してお見せした時、「面白い、これで行ってみよう」と言われたことがその後を作ったと思います。番組でも見ても時代を作っても誇ることもない・・・お元気な菊本さんらしいご様子に嬉しく思います。当時の音源や回路に興味のある方は自分がアマチュア時代、TR-808研究の一環が先日リリースされたトラ技スペシャル160のアナログ回路記事が参考になります。ハンドクラップやバスドラの回路や実験なども掲載しています。
朝日Be土曜版の記事なので1日ずれです。古田雄介 さんの本からの情報がメインです。古田さんにはASCIIのサイト記事で取材を受けたのが10年以上前の丁度震災の後で、いろいろなお話をしました。その中で偶然にも、ホームページやブログは墓標になる(なってしまう)と言う話となり、私から、そんなサービスがあっても良いのではという話をした覚えがあります。今ネットのサイト利用でデジタルのセーフティーボックスもありますが、記事は確実なアナログを利用しての対策です。
白金北里通と最近は言うようですが、自分が住んでいた1960年代子供の頃は三光豊沢商店街と言ってました。ホームページでも書きましたように、1990年代までは街並みが残っており、その後大きく変わっています。2007年の資料も見つかりましたのでこれも比較に加えました。1964年に転居し、再訪は1984年、1997年、2007年、2009年、2017年でした。たった2年住んだ街ですが思い出深い通りです。2007年は丁度訪問した年で通りにマンションが増え始めた頃です。
「男はつらいよ」で有名ですが、映画より前のテレビ版(1968年)から出演されていたと思います。寅さんが印象強いのですが、当時のテレビ時代劇月影兵庫や花山大吉など時々出て来た記憶もあり、寅さんのあのはまり役だけではなかったと思います。映画では境内で箒で掃除する訳でもなく遊ぶ姿や、土手で寅さんに揶揄われる姿など、せりふの無いところでもその存在感を発揮していた思い出が蘇ります。合掌
テレビ版がサイトに記載がないのが不思議と思ったら22時からの番組だったことを思い出しました。
1950年代末、1960年代の初めの絵本を見ると、当時の雑誌のカラー写真巻頭ページにとはまた違った独特の童話の世界のような絵を見ることができます。特に街の様子を描いた絵はジオラマの世界を見るようで引き込まれるような感じがあります。この絵本は後年入手したもので1950年代後半の小学館のものと思います。思いますというのも表紙・裏表紙がないのです。画調と絵の中アドバルーンがヒントになりました。以前「くいずえほん」というのを知って、設問に従って絵を読み取る、この本も通して同様です。文字は細く小さいので大人が読んで子供が答える形式、1960年頃までは親が子供の相手が出来た時代でした。見える乗物の名前と、信号機での歩行方向を答えるものです。
700号記念号のふろくです。本誌にも時代の流れ、歴史背景や経緯も出ていますが、まだトランジスタが最新であった時期の創刊です。自分が電気弄りを始めた頃ですが、トラ技を目にしたのは1960年代の後半、自分にはあまりに難しい内容でした。トラ技をしっかり読み始めたのは1970年代、大学入学で電子回路を学びはじめた頃からでした。就職して余暇の研究でトラ技の記事を書くようになったのは1980年になってからで、電子楽器開発設計への転職もこれらの記事がもとでした。この時記事をもとにした面接をしていただき入れて貰い、次の会社へも誘っていただいた方の訃報が先週入りました。数年前トラ技で電子楽器関連連載を始めたことをお知らせしましたが、もっとしっかりお礼を言っておけばよかったと後悔が残ります。
早いもので、2022年もあと1か月。「しかない」でも「ある」というところです。先月の中頃から母の朝の支度が自分では難しくなり毎朝1時間は行ってやってやるようになりました。そのため自分の食事を1時間繰り上げて早くすませるようになりました。
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