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78年前、母は動員中の飛行機部品工場をお盆の用事で休み神奈川県曽我の親戚で雑音ばかりの玉音放送を聴いた。父は出征して静岡県三方ヶ原飛行場の整備後、山梨県竜王へ移動、民家で療養中に終戦を迎えた。二人の郷里小田原は、終戦の日の朝、米軍の空襲を受けた。父の友人であった先輩はフィリピンのミンダナオ島で終戦を感じつつ飢えと戦い、投降したのは終戦2か月後だった。画像はその回顧した画集からの1枚で、父を通じ実物を1980年代に手にして見たことがある。しかし不思議な縁があってこの画集本は今から20年以上前のものだが、発刊したのは「みんなのうた」初期番組制作者であった志村建世さんで、私が志村さんと「みんなのうた」で知り合う12年前の事、この画集でのつながりを知るのはまたずっと後のことだ。(「画家が戦争を記録した」増田博一:NiKK映像2002年刊 志村建世 発行)
三鷹市の1976年発行のものです。三鷹市図書館の蔵書を検索で調べましたが1980年が最古でした。そんな訳で少し高価でしたが購入しました。住宅地図は古くは更新契約サービスがあって古いものは引き上げ最新のものに置き換えることも版元がやっていたことを近年知りました。そんな訳で古いものは市場や図書館でも少ないのかもしれません。私が1972年に三鷹を離れた後のものですがそれでも謎がいくつも解けます。昔三鷹北口にあった「小松ストアー」の位置が判りました。以前から記憶していた場所は間違っていたことが判り、建物もすでに見ていた写真の中にあることが判りました。間違った理由は昔は三鷹駅の東側にあった踏切を渡って北口側に行っていたことで、それを跨線橋型の駅になってからの動線と勘違いしていたからでした。10分前のことが良く分からない母が「小松ストアー」を覚えているのにはびっくりしました。
今年は1960年代の夏休み、夏季施設についてやっていますが、1966年の箱根であった「林間学校」を追加しました。こちらも三鷹市の全小学校同学年を連携して開催されたもののようです。
妻が教えてくれました。確かに買ったバナナにシールが貼ってある。思い出すのは「NHKみんなのうた」の「バナナをたべるときのうた」(1963年)弘田三枝子の歌唱。再放送曲ではなかったけれどアニメーションが可愛らしく、水星社の歌集3にイラストがあったので覚えていました。再度オリジナルを聴いた2011年の今頃でした。NHKで番組担当した志村建世さんから当時放送を見た視聴者から「木の画がヤシ風」との指摘があった・・・とお会いした時に聞いています。
このシーズン、お馴染みとなりましたサイトのコーナーです。今年は懐かしい臨海学校などの夏季施設を取り上げました。手元に1960年代当時のしおりがありますので、記憶や写真とともに振り返ってみました。臨海学校は小学5年の1965年に千葉県の岩井海岸に参りました。
やっと分かりましたが、少年ブックという月刊誌のふろくでした。
小学生の頃、見た、持っていたもので大判のポスターの兵器図。ヤフオクで長くアラートなどもかけて探していました。
表はカラーで軍艦、裏は単色の飛行機(紫の記憶でしたが)。オークションの出品説明では昭和30年代とありましたが昭和38年1963年です。
まだ港区に住んでいた頃で、大切にしてましたが、1964年三鷹の引っ越し後には無くなっていた感じがします。少年ブックは買ったことがないので、貸本屋をしていた祖父から貰ったのかもしれません。大きさは53cm×78cmと大きなものでした。もうその当時、この程度の艦名、機名を知っていたのも、少年サンデー、マガジンの巻頭図解を見ていたからでしょう。
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