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今年は変わった映像が撮れました。
https://www.youtube.com/watch?v=8udr-PFIEAU
もう10年以上観察しています。条件としては
富士山見える場所と天気。そして日にち時間です。だいたい毎年同じ日。だめなら場所で調整です。
アドバイスをいただいたのが天文ソフトでほぼ当たりました。
私は日没方向、時間サイトで富士の5合目に日没する日で調整しています。これは観測場所、日にち指定で解ります。
(以外と忘れがちなのが観測場所の高さです。)「山頂に接するのは2日間くらい。接した時から没までは位置が変わります。
曇天でも見え、晴天でもためな時もあり、霞で肉眼で見えなくても、照らし出されて見えることもあります。
二重富士が見える時もあり(今年はこの影で見え、影は実際は富士の前に有り)、この観測も見逃さずに。
追加原稿の文章を書いていて、背景について説明も入れました。思い返すと1981年4月に雑誌掲載したことが分岐点になったかなと思います。おそらくその前の年の夏休みには作り始めていたポリフォニック鍵盤楽器はメーカーに請求したデバイスをマニュアルによって自分なりに設計したものでした。それまでは雑誌記事を参考にでしたので。オルガンとストリングアンサンブルの合体のようなもので、アッパー3オクターブ、ローワー2オクターブのスプリットで、ソロ61鍵シンセ出力(CV、Gate)も出るものでした。転職の試験の面接では、この回路の口頭試問があって、なぜマルチエフェクタにしたか?1系統だけにビブラートをかけるためにはマスターオシレータを変調できなかったからでした。転職して各種のアンサンブルやシンセ、レスリースピーカーを模した電子式トレモロ・コーラスなどを担当することになったのもこのあたりからだったのでしょう。
1月の前半は不思議で日の出時間は2週間で1分ほどしか変わらない、日はもう長くなりはじめているので、その分日没はより遅くなっているのです。しかし月半ばを過ぎるとそれも違い何かさほど早くなっている感じでもなく、そして日没後も何か明るい・・それはダイヤモンド富士が近い証拠と思っています。つまり日没点が富士山の斜面を登り始めているので日没が早めになり、そして富士山は平面パネルではなく地表の出っ張りなので光が回って起こる現象で日没してもやや明るい、また二重富士が空に見えたり、富士から影が空に直線で延びたり。日にちは11月のダイヤモンド富士時がわかれば冬至でおりかえして1月での逆算でほぼ解ると思います。サイトにはありがたいのがあって日没時間、日没方向が解るのですが有り、これはたぶん地表の出っ張りは補正していないはずでダイヤモンド富士の時の日没点はもっと斜め北にあると思います。つまり入射角そして当日天気に恵まれ、雲が富士に掛からないか、日没は高い富士山山頂でやや早くなるので遅れないように。富士への日没は真上からではく斜めから山頂にかかる感じでその時まで行かないと意外に解らない。空に高い時はこの角度が読みきれない、だから2,3日前から気にしておくと良いと思います。高所観測点の確保もありますね。風景は16日夕、サイトは19日の様子。(これでもまだ早いはず)
掲載誌が到着しました。今回は定番パーツでNJM13700です。VCA用のICで2ch入っているので電子ボリウムにも使われます。ギター系の電子パーツショップではあると思いますが、秋月ではセカンドソースのV13700 M、ミニ・フラットパッケージの製品が販売されています。ホームページもご覧ください。
最初に覚えているのはまだ幼稚園に入る前、1950年代後半、小田原にいた頃ですが、朝ラジオから流れていた「パパいってらっしゃい」。後から知りましたがTBSラジオの番組。メイコさんはママの役とまだ口が良く回らないボクの役をうまく演じていました。父が出社した後、母と、叔父の作った真空管ラジオで聞いていた記憶があります。1960年代後半、フジテレビで「グーチョキパー」というホームドラマがあってそのお母さん役をされていました。ジュディオングさんも出演していた土曜の番組でした。合掌
紀信さんをお見掛けしたのは1977年当時私が学生ながら仕事でお手伝いをしていた小学館の青年写真誌の編集部ででした。雑誌の看板ページの写真家ということもありましたが編集長の椅子に座ってオーラを放っていました。まだ歌手の南沙織さんのご主人になるとは思いもよりませんでした。合掌。
自由研究 (coocan.jp)
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