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22日は妻と行って、30個ほどのゴミを運びました。すでに食器関係や着物関係はかなり終わり、2階の座布団や棚を分解しての木材、小物入れなどの小家具の廃棄となりました。リサイクル家電は父が馴染みであった購入店に予約で引き取ってくれました。親子さんで見えましたが、親父さんが今の息子さんの年の頃よく実家に設置に来たと懐かしいそうでした。キッチンは食器棚だけになりました。
午前で済んで昼過ぎに吉祥寺に戻り準備をして、早めにに産経の講座開講となりました。PALDVD、カメラのサービス対応、画質などの課題解説でした。12月は年末となるので繰り上げ来週の開催となります。帰宅し夕食すると朝3時起きの睡魔で3時間以上眠ってしまいました。
実家早朝のゴミの廃棄は単独で行って準備していた50袋を収集場所に運びました。臨家との木々は高いところで越境しているので、高枝切鋏に工夫して鋸を付けて切りました。
粗大ごみでも通常廃棄できない家電は購入した販売店に電話して廃棄して貰うことになりました。父母が残したノート3冊には80年代後半からの領収書が貼って有り、この中に電気店のものがあり助かりました。馴染みの電気店からはいろいろなものを買い、工事などもやって貰ったようです。
午前に伐採した木々の枝葉を切って袋入れをしたところ5袋になりました。測量会社の方々が来て土地調査をはじめました。夕飯までに吉祥寺に戻り夕食後、来月のDVDの収録の続きを行いました。
月曜以来の妻の参加です。まずはゴミ捨てですが2階のゴミを階下に下し忘れていました。紐にフックを付け夫婦連携で効率よくおろしました。約40袋を集積場へ。昨日入ったチラシでオーブンや扇風機など6点を駐車場に出しておいたら不要電化製品の無料集荷がありました。隣の越境した枝木の伐採を引き続き行いました。ここまでで納戸、玄関、脱衣所、風呂、洗面所、キッチン、階段室の温室部までの廃棄整理が終わりました。


連日となっています。木曜は以前は木の葉や枝の回収日でしたが横浜市の変更で燃えるゴミのなったと思っておりました。つまり木曜は収集がない、だから木曜に行くことはなかったのですが本日行ってローカルルールがあることを知りました。若葉の日として収集があり、到着して昨日の竹や庭の雑草を集め1時間かかって4袋を捨てました。明日の準備の紙類を集め束ねたあと、いよいよレイアウトの解体をはじめました。地形は今はハードシェルという方式で模型用の地形プラススターで芯に段ボールを使っています。1970年ころこの手法を知り、初代はそれでやったのですが、技術材料がなく、その改善として作ったのがこれです。建材プラスターが入手できず石膏を使っており、芯はベニヤや新聞紙、発布スチロールを使っていることが壊して解りました。ということで現在より大変重くまた強いこと、何より当時の工夫や苦労を改めて知り、トンネル内から貨車1両を救出しました。
連日の実家行きですが夜明けが遅くなり行きの電車で多摩川を渡るのも暗い状態。交通の時間も考え15分繰り下げ、ゴミ出しの時間は短くなりますが今回から変更することになりました。
物置から出て来たものは古いものが多く良くとってあったというものもあります。太鼓と木琴は1950年代のもので、私が初めて手にした楽器でしょう。
本日は切断した金属や母のお花の金属器やケンザン、切断した洗い籠をゴミ出し。臨家から出ている竹などの切断、キッチンの残り、小家具の分解と切断をし夕方前に吉祥寺に戻りました。
20時からDV7サロン会議で今回もAIの話題、今月のDVDは良いテーマであったようです。会員さんが呼んだゲストは、10年以上前にDV-7セミナーの受講者さんで、質問もあると言うことで月刊会員に入会となりました。
諸事用から過去土曜に行くことが多くその前の金曜は大変少なかったと思います。先日、物置の中を整理しましたがいろいろなものが出てきました。一度全部出してみると昔作った一畳の大きさのレイアウト残りました。これは1980年頃作ったもので、結婚して家を出た時に残したものですが、父母は困って物置の天井から釣り下げたようです。どうやって下すかと準備を始めて気づいたことがありました。このレイアウトのフレームは高校生の時のものを横浜の新居で一度解体、社会人で作ったものです。最初オープントップで作ったものに合板を貼っていますが穴が2つあります。1つはトンネル内脱線の復旧用、もう一つは池の落とし込みなのでしょうがまん丸はおかしくそこで気づきました。この合板は高校生の時オーディオで作った平面バッフルスピーカーを解体した板の転用だったのです。週刊FMの記事を見て、ユニットはコーラルのFLAT6で作り、その後ボックスを作って入れましたが残ったバッフルを利用した・・すっかり忘れていました。
早朝に行って納戸の整理をし、お昼前後、両隣にご挨拶も致しました。前回の物置の整理状態確認、捨てる金属類の切断をまとめて行いました。
昼休みにBGMのスピーカーのメンテをしました。
山水のSP-2002で、1970年頃人気で雑誌の比較試聴ではのきなみトップを取った機種。
フロントグリルを外すと5スピーカー、まだ見せる化粧パネルが流行る手前ですが見せたい感じする構成です。
コーラル音響のシリーズではもっと沢山のユニットを使った機種もありました。当初は数争いではなく必要性からでしょう。当時はトランジスタアンプが発展期で出力も50Wは出ており、マルチアンプ時代にも入って、アマチュアはスコーカー、ツィターを2個以上並列にする製作も見かけました。しかし、同一ユニットを複数使うことは干渉が出やすく音のクセが強く出やすいこともあってこのスピーカーで異なるユニットを2個使っています。またドーム型のスピーカーは当時能率が悪かったという背景もあります。そんなことを思い出しました。
これまで手の回らなかったところです。早朝に行って、10時頃にはだいぶすっきりした感じになりましたが、まだ昔作ったレイアウトが釣られています。これの対応は次回です。片付けのBGMシステム、最近はスピーカーの下にブロック置くのは悪とか。
もともと昔の日本家屋の素性から生まれたものを意味も解らず真似たその末路なのでしょう。当時下が畳で周りがふすま、音量は出せず音は抜けて低音感もすごく足りないし音も響かない。当時のスピーカーはブロック積んだ高さで耳軸に合いやすかったことあったかと。
片付けで当時のブロックが実家でみつかりましたが、オーディオに使ったものは重さも厚みも普通と違う。今常識のスタンドもそれが置かれる所の強度、固定したいのか共振をととりたいのか、音響的には物理理想は今でも無理なのです。技術屋はどう狙い設計したのか。ユーザーが解らず決めず恰好の真似は昔のブロックの末路と異なるものなのかどうか。
非理想だからこそバランスが有り、相殺すらある。その装置の理想を引き出してもその音が自分の幸せとは限りません。私の場合は自分の内なるオーディオの現れが機器や使いこなしであり、その出音そのものです。それは皆個人さまざま、妄信せずいろいろやって自分自身を見つめることでしょう。
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