2023年1月7日、運休しての工事でニュースとなっています。渋谷の山手線ホーム工事は以前から何度も行われていて、1964年の東京オリンピックへ向けての南口(新A口)開設のためのホーム延長、1965年のカーブ隙間を減らす曲率半径やホーム幅の変更と過去より苦労の多かったこの部分も遂に1本化で大幅な変更となります。渋谷の変貌で懐かしい昭和39年の渋谷ジオラマですが、残るホーム構成でも変化を迎えたことになります。
少年マガジン1964年新年特別号でサイトに新ページを設けました。1965年になると少年マガジンも少年サンデーも漫画雑誌そのものになるのです。人気漫画とニュースや図解とバラエティーに富んだ構成は大人の週刊誌の子供版的なところです。紙付録が多彩であった月刊雑誌に対して、テレビの普及、そのテレビ番組が週単位の放送であった事など生活習慣の単位の変貌も後押しをしたのが少年週刊誌。その新年特大号は懸賞が大型化し僕らの欲しいものが並びました。
新幹線50年で作った「新幹線登場!」のページを作ったのは2014年の秋でした。その後入手した資料もあるので、そのあたりや、他ページに散っている情報も収録して新規ページを正月早々作りました。年末年始特集が後回しになっております。
白金北里通と最近は言うようですが、自分が住んでいた1960年代子供の頃は三光豊沢商店街と言ってました。ホームページでも書きましたように、1990年代までは街並みが残っており、その後大きく変わっています。2007年の資料も見つかりましたのでこれも比較に加えました。1964年に転居し、再訪は1984年、1997年、2007年、2009年、2017年でした。たった2年住んだ街ですが思い出深い通りです。2007年は丁度訪問した年で通りにマンションが増え始めた頃です。
住居地図は父が仕事で使っていて、その存在は自分が子供の頃から知っていました。しかし今になってみると昔のものがなかなか見つからないことをずっと不思議に思っていました。昔のものを入手してその理由がわかってきました。画像は地図の冒頭に貼られていたちらしです。年度更新するとともに、登録者には古いものを制作会社が買い取るシステムがあったのです。だいたい1冊1000円代であった当時、200円で買い取っていたようです。貨幣価値は10倍以上 今とは違うでしょう。通常の使い方では最新のものが欲しいでしょうし、古本となって新刊販売を圧迫するのを防止できたかもしれません。これが古い住宅地図が残っていない、ただ新しいを求めたからだけではない理由の1つかもしれません。
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