追加原稿の文章を書いていて、背景について説明も入れました。思い返すと1981年4月に雑誌掲載したことが分岐点になったかなと思います。おそらくその前の年の夏休みには作り始めていたポリフォニック鍵盤楽器はメーカーに請求したデバイスをマニュアルによって自分なりに設計したものでした。それまでは雑誌記事を参考にでしたので。オルガンとストリングアンサンブルの合体のようなもので、アッパー3オクターブ、ローワー2オクターブのスプリットで、ソロ61鍵シンセ出力(CV、Gate)も出るものでした。転職の試験の面接では、この回路の口頭試問があって、なぜマルチエフェクタにしたか?1系統だけにビブラートをかけるためにはマスターオシレータを変調できなかったからでした。転職して各種のアンサンブルやシンセ、レスリースピーカーを模した電子式トレモロ・コーラスなどを担当することになったのもこのあたりからだったのでしょう。
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